おねむなおはなし

日々の気付きとトキメキ

病弱田舎もん、都会へ行くの巻

 

 

普段のわたしというのは、本当にぼんやりほわほわ暮らしているのだが、先日そんなわたしが平日の昼間に公共交通機関などを駆使してそこそこ遠出をしなくてはならない事態に陥った。普段なら、そこそこ遠出をしなくてはならない事態に陥った場合、わたしは他の誰かに代理を頼む。何故なら遠出も人混みも公共交通機関も嫌いだからだ。尚且つ今回は住んでいる場所から見て随分な都会に行かなくてはならない。何が嫌いってそりゃあもう都会が嫌いなもんだから断固としてお断りしたかったのだが、今回ばかりはどうしてもわたしが行かなくてはいけないというわけで、意を決して出かけたわけである。

 

出かけてみて一番思ったことは、人々はとにかく常にスマートフォンを操っている!ということだ。待ち時間、移動中、話しながら、会計をするときや、食事中にも、一人であれ二人であれ、大人数であっても、とにかく人々はスマートフォンに触れている。とにかくスマートフォンを覗いている。すごい時代だ、21世紀資本主義デジタル社会。

パソコンを使えばゲロを吐くし、スマートフォンを使えば突き指をする。今時の家電製品は賢すぎて手に負えない。辛うじてテレビは観る。でも休み休みじゃないとめまいでぶっ倒れそうになる。そんなわたしには、自分の手の延長線上に常にスマートフォンがあり、体の一部のようにそれ扱う都会の人々が同じ時代を生きる違う世界線の人々という感じでとても珍しく、そして「すげぇ……かっけぇ……!」と思ったのであった。

 

でもちょっとだけ、ちょっとだけでいいから、画面から顔を上げて、移り変わる景色や空の色合い、友達や恋人の顔や食事の内容などを、五感を使ってたっぷり感じる瞬間があってもいいんじゃないかな、なんて思ったりもした。スマートフォンの中にはそれはもうたくさんの情報や楽しみが詰まっているだろうけど、今この瞬間に気を向けてみるのも、相当楽しいし、色んな気付きや情報がいっぱいだと思う。私たちに与えられた時間は有限。どうか大切にね、と心の中でそっと願ったりなどしたお節介な病弱田舎もんのわたしなのであった。

 

 

では、今日はここまで。

ありがとうございました。

 

 

 

追伸:そして慣れない遠出で精神と肉体の限界を迎えたわたしは帰宅即寝込んだ。タフでデジタルな都会っ子の存在はとにかく遠く、果てしない。ぐっどばい。